出典:我が人生

あるトランスジェンダー東大生のレポート

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する方・される方から見つめるカミングアウト

こんにちは。シンです。

今回は昔書いたカミングアウトについての記事です。せっかく書いたんで載せときます。

※2017年11月に開催された駒場祭にてTOPIAの展示に出したものです。完全にそのまま載せただけ。

 

最後の一文を言いたかったがためにこの展示作ってます。満足。

 

する方・される方から見つめるカミングアウト

セクシュアルマイノリティ当事者にとってカミングアウトは大きな出来事である。かくいう私にとってもそうだ。かつて凄まじい勇気と覚悟を抱えカミングアウトし、受け入れられたときには言葉では言い表せないくらいうれしかった。私はあの日のことを一生忘れないであろう。しかし、カミングアウトは人間関係においてゴールではなく通過点である。特にカミングアウトされた側にとっては始まりである。この展示では実体験をベースに様々な視点、時間軸からカミングアウトを見ていきたいと思う。

自己紹介をしておくと、私はトランスジェンダーであり、大学在学時に性別移行している。

 

する方(当事者側)から見つめるカミングアウト

まず、カミングアウトする側である当事者側からカミングアウトを見ていこうと思う。当事者側とは言っても私自身が当事者であるため、どうしても偏った意見になってしまうことをことわっておく。

 

カミングアウトする理由

・自分を知ってほしいから

セクシュアリティというのは人を構成する大事な一要素であり、物事の考え方や人生観に影響を与えている場合も多い。隠し事をしていると本当に仲良くなれないと考える人もいる。

 

・隠し事をするのが面倒だから

自身のセクシュアリティを隠すというのは大変なことである。セクシュアリティを隠すために嘘をつくと、つき通すために嘘を重ねなくてはならないからだ。例えばクローゼットで同性のパートナーがいる場合、「恋人はいるのか?」といった質問にどう答えるか考える必要がある。ここで「いる」と答えると、異性のパートナーであることが前提として話が進むことになり、どんな相手なのか聞かれた際に困る。そこで適当に答えてしまうと、後で別の人に同じ事を聞かれたときの答えと違ってしまったりする。ではいないことにすればいいかというと、「いい人を紹介してあげよう」「恋人もいないようではダメだ」など面倒なことになる場合がある。アセクシャルの人にとっては恋愛話を振られること自体困るだろう。また、そもそも隠す必要性を感じないという人もいる。

 

・必要性があったから

私にとって一番強いカミングアウトの推進力になったのがこの理由だった。トランスジェンダーが性別移行をすると外見的な変化も起こる以上、どうしても周囲には言わなくてはならない。また、大きな病気に罹った際などは医師に言わないと治療上困るだろう。同性パートナーがいて、社会人である場合、会社によっては福利厚生制度が適応できたり、転勤の際考慮される場合があるため担当者にカミングアウトする、といったこともある。

・周囲の理解を促進したいから

セクシュアルマイノリティに対する無理解の一つの原因として、自分の近くに当事者がいると思っておらず、メディアから得られる偏ったイメージを持っていることが挙げられる。その偏見を打ち砕くには効果的な方法であるだろう。

 

カミングアウトしない理由

・差別や偏見にさらされる可能性があるから

カミングアウトした相手に理解があればいい。しかしカミングアウトしてみるまで理解があるかどうかはわからない。カミングアウトしたことで今までの関係が壊れてしまうかもしれないし、危害を加えられる可能性もある。

 

・言う必要を感じないから

カミングアウトしないことによる息苦しさを感じない人もいる。人それぞれである。

 

・シスジェンダーストレートとして生きたいから

これは私にとって大きな理由である。同性相手と異性相手では距離感が異なることが多い。私はずっと同性だと思っている相手に異性として扱われてきた。性別移行して初めて同性同士のコミュニケーションを取ることができるし、異性として意識してもらえる。本来ならば苦も無く手に入れられるはずだった人生を、私は見せかけだけでも歩みたいのである。

 

カミングアウトは上記のような様々な理由が絡み合い、「する理由」と「しない理由」を天秤にかけて決定される。これらの理由以外にも様々な理由があるだろう。

 

 

 される方(非当事者側)から見つめるカミングアウト

カミングアウトする方にとって、カミングアウトという行為はある程度計画的なものである。相手を見極め、この人になら言いたい、と思って言っている。しかし、多くの場合、される方にとっては晴天の霹靂である。カミングアウトについて語られるとき、した方の気持ちや、された方はどういう反応を取るのが望ましいのかについて書かれることが多い一方で、された方の感想はそこまで取り上げられないか、カミングアウトの相手が親族である場合が多いように思う。そこで今回、カミングアウトした友人数名に協力を仰ぎ、私のカミングアウトついていくつか質問に答えていただいた。

 

 

・カミングアウトされて驚いた?

「カミングアウトされたこと」自体に驚いた。「トランスジェンダーであること」には驚くと同時に納得したという回答が多かった。

 

・前から気がついていた?

何となく気がついていたという人から全く気がつかなかったという人までいた。自分としては結構わかりやすい行動をとっていたつもりだったが、周囲の人はトランスジェンダーという可能性が思い当たらないのだろう。

 

・カミングアウトされてセクシュアルマイノリティに対する意識は変わった?

多くの場合、変わったと回答した。以前にカミングアウトされたことのない人は、実際近くにいることがわかったことで意識が変わったようである。以前カミングアウトされたことのある人でも、トランスジェンダーは初めて会ったという場合がほとんどで、さらにまた考え方が多少変わったという人が多かった。

 

・以前に別の人からカミングアウトされたことある?

これは半々くらいだったが、そもそも理解のありそうな人を選んでカミングアウトしているので、偏っているのだろう。しかし、ほとんどがこっそり打ち明けられたというよりも、オープンにしている人が周囲にいたとのことであった。カミングアウトできる人はどんどん出来るけど、出来ない人は誰にもできないという二極化が進んでいるのかもしれない。

 

・カミングアウトされて困ったことはある?

何とも本人に答えにくいであろう質問をぶつけてみた。ここで一つ反省点が見つかった。私はカミングアウトするときに呼び出す理由がないと「大事な話がある」と言っていたことがあった。相手は思い当たる節が当然無い訳なので妙に勘ぐってしまったようである。次からは「聞いて欲しい相談事がある」などにしようかと思う。

 

質問は以上であるが、それとは別に今回友人たちとカミングアウトについて話したことでわかったことがある。それはカミングアウトした際の反応についてである。私としては「意外とみんな驚かないな」という認識だったのだが、皆内心かなり驚いてどうしていいかわからなかったようである。あまり戸惑った態度をみせると私に悪いと思ったようだった。こちら側もただカミングアウトするだけではなく、具体的にどう接してくれたらうれしいのか、など言った方がいいと感じた。

 

あとがき

まずは、カミングアウトした後も変わらない友情と、謎のインタビューへの回答を示してくれた友人たちへの感謝を記す。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

今回の展示でカミングアウトを題材にしたのは大きく二つ理由がある。一つは一橋アウティング事件である。2015年に一橋大学で起きた事件で、ゲイの学生が同級生にアウティングされたことを苦に自殺してしまった悲しい事件である。この事件を耳にしたとき、この大学生は自分だったかもしれないと、激しく落ち込んだことを覚えている。この事件でアウティングした方の学生は、告白されたことによる精神的苦痛を回避するためにはアウティングするしかなかったと主張している。アウティング自体許されることではないし、その主張に正当性があるとは思えないのだが、そういえば「カミングアウト」という行為についてされる方に注意を向けたことがあまりなかったことに気がつき、目を向けてみたいと思った。

もう一つは非当事者について書きたかったからである。近年、「LGBTに対する理解を!」と声高々に言われることが多くなり、「LGBTとは何か」が非当事者向けに発信されることが多くなった。それ自体は喜ばしいことだが、我々は一方的に理解されるべき者なのだろうか。シスジェンダーの人がトランスジェンダーのことをわからないのと同様に、私はシスジェンダーのことがわからない。「LGBT」と一括りにされていてもシスジェンダーのLGBについて、私は完全にはわからない。セクシュアルマイノリティは理解してあげないと可哀想といった風潮があるが、あくまでも相互理解である。非当事者が当事者を見つめるとき、当事者もまた非当事者を見つめているのだ。