出典:我が人生

あるトランスジェンダー東大生のレポート

移転しました。

約3秒後に自動的にリダイレクトします。

13歳の君に伝えたいこと~「LGBTは生産性がない」を見て~

こんにちは、シンです。

最近ブログをさぼっていました。学生の本分が忙しかったもので・・・

 

さて、今回は杉田水脈氏の「LGBTは生産性がない」発言についてです。

 

概要

 何があったか簡単に説明すると、自民党衆議院議員杉田水脈氏が「新潮45」「『LGBT』支援の度が過ぎる」なる文章を寄稿し、その中で「LGBTは子供を作らない、つまり生産性がない」などと書き、LGBT差別解消に疑問を呈する発言をした。

「LGBTは生産性がない」自民・杉田水脈議員がこれまでの寄稿で主張してきたこと

 

この発言への反論

「子供を作らない」=「生産性がない」はおかしい。そもそも生産性って何を指しているんだ?そして生産性があるかどうか誰が決めるんだ?

「子供をつくらない」=「生産性がない」だったと仮定して、それは不妊を抱える人や高齢者も入ってくるけど、それはどうなんだ?

「生産性がない」人間は差別していいのか?そんな訳ないよね。基本的人権があるからね。

 

と、まあこんなもんかな。

他の人はここの掘り下げを書くのだろうけれど、今回のブログはこの先が長いです。

 

最初の感想

僕が最初にこの件を知って最初に思ったことを、正直に言おう。

「うわぁ、何かヤバい奴いるよ。無視無視。」

だってもう何からツッコんでいいかわからないほどに問題発言じゃないですか。「子供を作らない」=「生産性がない」がまず何言っているんだよだし、生産性がなかったら差別していいわけないし、「LGBTだからといってそんなに差別されるものでしょうか」って鏡を見てくれ、って感じだし・・・

あきれかえってしまって、怒る気にもなれず、忙しかったこともありそんなに気にしてなかった。

 

でも、数日経ってふと思った。

これは無視してはいけないんじゃないか?

ちゃんと怒らないといけないんじゃないか?

 

僕が中学生だった時のことを思い出して、そう思った。

 

中学生の僕

僕は中学生のとき、「LGBTには生産性がない」と思っていた。

正確には「トランスジェンダーである僕には生産性がない」と思っていた。

これは親や世間にかけられた呪いだった。

 

今から10年近く前の話だ。当時、「LGBT」なんて言葉はなく、セクシュアルマイノリティに対する風当たりは強いものだった。「性同一性障害」という単語は有名だったが、まだまだ変な人扱いだった。

 

僕がトランスジェンダー(当時僕は性同一性障害として認知していた。両者は同じものではないが、ここではトランスジェンダーと表記する)であると自認したのは13歳、中学一年生の時だ。

 

当時、僕は制服が原因で学校に行けなくなりそうになっていた。というか、女性として生きることが苦しくて苦しくてどうしようもなかった。

で、無理すぎて親にカミングアウトした。

結果は悲惨そのものだった。

このとき親に散々なことを言われてからというもの、長い自己否定との戦いが始まった。それこそ「生産性がない」みたいなことも言われた。

当時の僕には理解者は誰一人としておらず、気軽に差別発言をする人に会っては傷つき、会っては傷つき、最後には周りは全て敵だと思っていた。

そしてどんどん起こる第二次性徴への絶望感もすごかった。

 

そんな中僕が打開策を練るべく頼ったのがインターネットだ。ずっと性別適合手術のことを調べていた。性別移行した後の人生に思いを馳せることに救いを求めていた。

 

しかし、たくさんの情報があふれるインターネット。見たくもない情報も目に入ってしまう。

数々の心ない言葉、罵詈雑言。確かな悪意がそこにはあった。

 

今の僕だったらそれを見ても「うわぁ、ヤバい奴いるよ。ドン引き。腹立つ。」で終わる。怒ることはある。でもそんなに傷つきはしない。だって知らない人だし(これが知り合いのツイッターとかだったら話は別)。 

 

でも、中学生の僕は違ったのだ。

ネットに書かれた雑な差別発言にいちいち傷ついた。見てしまうたび血の気が引いた。全ての差別発言が、自分に向かって言われている気がした。 

よくわからない、誰だかも知らない相手の戯れ言ですらそうだったのだ。

 

 

じゃあ、国会議員だったら?

 

 

きっと僕は、日本という国から存在を否定されたと思っただろう。

それはきっと、僕の心に突き刺さっていたことだろう。

 

今回の「LGBTは生産性がない」という発言は、多くの人を崖に向かって蹴り飛ばしているということを杉田氏には理解していただきたい。

 

僕は、大きな声で「その考え方は間違っている」と言いたい。

この発言で傷ついた人に届くように。

 

僕にできることはそんなにないけれど、何もしないよりはいいと思ってブログを書いている。

 

もしも今、差別に苦しんで、自分は死んでしまった方がいいんじゃないか、と思っている人がいたら「あなたは生きていていいんです。」と力強く言いたい。

 

僕はそう、言って欲しかったのだから。